「ふるさと」の故郷/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・U」登山クラブ

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話題29  「ふるさと」の故郷
      文部省唱歌「ふるさと」の作詞者高野辰之の郷里の北信州のこと、東日本大震災以降、よく歌われるようにな
      った「ふるさと」と予定されていた公演のためキャンセルもせずに4月来日し、日本を励ましてくれたプラシド・ド
      ミンゴが歌ってくれた「ふるさと」、そして大震災後日本に帰化して生涯日本に住みたいとやはり日本を励まし
      てくれた日本文学研究者、ドナルド・キーン氏はドミンゴを以前から最高のテナーとして賞賛していたことなど。

 長野県でも飯山線周辺というと県下でも多雪地帯ということで、冬こそ古くからのスキー場が知られてはいますが、それを除くと大きな町もなくてひなびた地域という印象です。西北は斑尾山(1382)や鍋倉山(1289)などの越後との国境をなす、東頸城丘陵が連なり、東南には志賀高原、草津白根山(2165)、四阿山(2433)等の信越国境の山々や高井富士とも言われる高社山などがあり、それらの間に挟まれた平地に信濃川が流れるのが飯山盆地です。
 東頸城丘陵は標高こそ低いもののブナの純林からなり、春から秋への歩き、そして冬のスノーシューのコースも整備され、信越トレイルという名で最近知られてきました。

最近なぜかこの地域のしっとりとした日本の田舎の原風景と言った感じが気に入って、毎年の様に出かけています。冬の雪景色が一面の菜の花畑へと変わるこの地方の春はすばらしいものです。
 山ではブナ平、志賀高原、斑尾高原、スキーでは野沢温泉といったところです。里もリンゴ、スモモ、ブドウと言った果物の、そして野菜では野沢菜や菜種の大産地でもあります。信越高速道でも、黒姫山近くの信濃町とか、小布施の道の駅では多種類の果物を販売していて買い求めるのも楽しいものです。特にまだ信州以外には出回っていない新品種を購入するのは一層の喜びです。

最近の映画「阿弥陀堂便り」もここが舞台となっている、ほのぼのとしたいい映画です。
脚本・監督は小泉尭史、音楽は加古隆、キャストは寺尾聰、樋口可南子、北林谷栄、小西真奈美、田村高弘、香川京子他のものです。音楽も明るく、俳優も皆自然にやれています。田村高弘、香川京子の先生夫婦の古武士然とした生き方は胸打たれます。実を言うと香川京子は私の大好きな女優です。
http://amidado.com/02kaisetsu.htm 

文部省唱歌「ふるさと」の作詞家高野辰之が下水内郡豊田村(:現在は中野市大字永江)に生まれたことは近年よく知られるようになりました。生家の近くに1991年には高野辰之記念館も建ち、彼ゆかりの資料を展示しています。

  

 今年も家内を連れて、湯の丸高原、万座温泉、志賀高原、そして東山魁夷の絵のモデル地である斑尾高原の希望湖に出かけた折、この記念館にも再び寄りました。棚田が点在する斑尾山の山裾です。「朧月夜」、「春の小川」、「紅葉」、そして「ふるさと」等の作詞者にふさわしい故郷です。
http://www.city.nakano.nagano.jp/tatsuyuki/index.htm
 “かの山”とは斑尾山ではなく、近くの丘陵、大平山らしく、”かの川”は小さな流れである班川(ハンカワ)ということです。余分なことですが、山に近いこの川には小鮒は生息してなくて、ヤマメが棲んでいるとのことです。作詞にあたって、全国で普通に見られるフナに種類を換えたようです。
 高野辰之は東京音楽大学教授や東京帝国大学講師を勤めた後、晩年は近くの野沢温泉町に対山山荘で過ごし、1947年に亡くなりました。東京の斑山文庫に残した国文学関係の書籍は戦災での焼失をまぬがれ、今は野沢温泉の「おぼろ月夜館班山文庫」に保管されています。
http://www.dia.janis.or.jp/~hanzan/takano1.html
 彼の墓所は野沢スキー場のすぐそばにあるはずですが、深い雪のためか、今年訪ねたときは見つけることができませんでした。

野沢温泉はスキー場としても著名ですが、中段に初心者用の非常に緩やかなゲレンデがあり、その下へは急な下り斜面が控えていて、初心者にはつらい感じです。中級者にとっては山頂周辺が雪質、斜度等気持ちよく滑れます。温泉は外湯が主ですが、土産物屋も並ぶ街並みは楽しく歩けます。外人用のホテルもあり、東京からの多くの外人と会います。

今年3月11日の東日本大震災以後、励ましあるいはチャリティのコンサートの最後にで「ふるさと」が歌われることが多くなりました。以前ですと「赤とんぼ」などもよく歌われたのですが、今は「ふるさと」一辺倒です。

福島原発事故による放射能汚染が海外に報じられ、海外のエンタテナーの来日のキャンセルが続く中、世界3大テノールのひとり、プラシド・ドミンゴ氏が4月7日来日しました。彼自身1985年9月メキシコ大地震で被災した親戚を助けるためメキシコに戻りガレキにまみれ、その後も約1年間音楽活動を休んでいます。今回はこうした時こそ助け合わなくてはいけないと、20万ドルを寄付するとともに、当初の計画通り来日したわけです。
 4月10日NHKホールでのコンサートとその夜の対談が5月14日にBSプレミアムの「谷村新司のショータイム」という番組で放映されました。彼の来し方、パヴァロッティやカレーラスのことと共にメキシコの体験、そして今回の大震災についての思いを語ってくれました。そしてコンサートの最後には彼の言う「日本人にとって特別な歌、ふるさと」を歌ってくれました。少し巻き舌ながら本当に心を打つ歌でした。

   

  世界三大テノール 左からドミンゴ、故カレーラス、      NHKホールでヴァージニア・トーラと[ふるさと」を
  故パヴァロッティ                           歌うドミンゴ


 

     NHKホールで[ふるさと」を歌うドミンゴ 

大震災後、自分の愛した日本の国籍を取って永住するとした日本文学研究者のドナルド・キーン氏(2008年文化勲章受賞)の著作を最近4冊ほど読み続けていますが、「私の大事な場所」(中公文庫705)の中の最後に「還暦のドミンゴを聴く」という文章があります。メトロポリタン歌劇場でオペラを見、そして聞くのが大好きであるというキーン氏はマリア・カラスなど女性のソプラノ歌手が特に好きといいながら、ただひとり男性歌手としてドミンゴ氏を不世出のテナーとして賞賛しています。30回以上彼の歌を聴いたと言っています。ドミンゴ氏は歌うだけでなく近年は指揮もやられているようで、これも素晴らしいと評しています。

  

     日本への思いを語るドナルド・キーン氏

現在ドミンゴ氏は70歳、キーン氏は89歳、共に大震災に心を痛め、日本国民に励ましをくれ、寄り添ってくれた立派な人達です。ほんとうにありがたいことです。

愛する人達を奪い、町も田畑も荒れ果ててしまった故郷、とても懐かしむだけの故郷ではなく、私の山の友、Fさんによれば”残酷な故郷でもあり、歌の「ふるさと」も辛いことを思い出させる残酷なもの”ですが、こうした故郷を持つことになった残酷さを乗り越えて、早く人々が立ち直って復旧、復興がなしとげられることを願っています。  2011.12.2


ドナルド・キーン氏が2019年2月24日、亡くなられました96歳でした。全ての日本の人々に敬愛され、惜しまれるひとでした。ご冥福をお祈りいたします。 2019.3.2

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